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大河ドラマいだてんの実在モデル金栗四三(かなくりしそう)が気になる

 

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ドラマ大好きぐーちゃんママです。

大河ドラマ「西郷どん」終わってしまいましたが、面白かったです。

主演の鈴木亮平さんが、どんどん太って 西郷さんに近ずいていく姿が凄いです、

プロ意識を感じました。

ところで、来年から始まる大河ドラマ「いだてん」は

日本初のオリンピックマラソン選手の金栗四三さん

1964年東京オリンピックの招致活動に尽力した田畑政治さんの人生を

宮藤官九郎さんのオリジナル脚本で描かれたものだそうです。

主演は、中村勘九郎さんと阿部サダヲさんのリレーとか・・・

今日は、日本のマラソンの父・金栗四三さんについて調べてみたいと思います^^♡

プロフィール!

金栗四三(かなくり しそう)

1891年・明治24年8月20日に生まれ、

1983年・昭和58年11月13日に92歳で亡くなられています。

生まれは、熊本県玉名郡春富村(現・和水町)

旧制玉名中学を卒業

1910年(明治43年)に 東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学されます

 

日本人初 マラソンでオリンピック選手に選ばれる!

ストックホルムで開催されるオリンピックの予選大会に出場し

当時の世界記録を27分も縮める大記録(2時間32分45秒)を出し

日本人初のオリンピック選手になりました。

 

足袋でマラソンに参加って、陸王?

第5回ストックホルムオリンピック大会に

日本人で初めて参加しました。

そのときに履いた靴が足袋だったそうです。

まるで「陸王」ですね!!!

そうなんです、

「陸王」の方が金栗さんをモデルにしたお話だったそうです。

びっくりです!(◎_◎;)

もちろん、普通の足袋ではなく

凹凸のあるゴム底をつけた改良型「金栗足袋」です

なんと これは戦後まで多くの選手から用いられたそうです。

 

残念な結果!

1912年の初めて参加した

ストックホルムオリンピックはレース途中で日射病になり

意識を失って倒れてしまいます。

4年後の1916年 年齢的にも一番脂がのったときの ベルリンオリンピックは

第一次世界大戦のため 開催が中止となりました。

1920年のアントワープオリンピックは16位

1924年のパリオリンピックは途中棄権

3度のオリンピックに参加しましたが、いずれも本来の力が出せず

残念な結果に終わってます。

 

 

生涯に渡って、スポーツの発展に尽力する!

師範学校(教員を養成する学校)の教師

熊本県初代教育委員長

東京箱根間往復大学駅伝競争(箱根駅伝)の開催に尽力

高地トレーニングの導入など、日本マラソン界の発展に大きく寄与され

日本における「マラソンの父」と言われています。

 

92歳でお亡くなりになるまでの なが〜い人生!

いろんな事があったことと思います。

大河ドラマで一年間かけて、ゆっくりと楽しみたいですね^^♡

 

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