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とと姉ちゃん常子の実在モデル大橋鎮子の父や家族は?結婚も気になる

 

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大橋鎮子_-_Google_検索こんにちは、朝ドラ大好きぐーちゃんママです^^♡

今日は休日、もう直ぐ孫ちゃんがやってきます。

3歳になって、お口の方が達者になってきて、

「だめ〜」とか「うそ」とか「いや〜」なんて言葉の連発!

しかも、クレオンしんちゃんの 喋り方〜

そのうち、ママの事も「みさえ〜」って感じに

呼び捨てになるのかなぁ???

子供のときの環境ってだいじですよね〜

とと姉ちゃんの常子の実在モデル、大橋鎮子さんは

10歳でお父さんを亡くし、喪主を務めるという

試錬を乗り越えた人です

大橋鎮子さんの事チェックしようと思います!

プロフィール!

大橋鎮子(おおはし しずこ)

大橋鎮子_-_Google_検索

1920年(大正9年)3月10日〜2013年3月23日

東京麹町で生まれ、1歳の時父の転勤で 北海道に移住しますが

父が肺結核になり、東京にもどります

3人姉妹の長女(とと姉ちゃんと同じですね)

小学校5年の時に父が亡くなり、喪主を務めた事は、有名ですね!

何で、母が喪主でないのか、疑問ですが!

東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)を1937年に卒業。

東京都立三田高等学校_-_Google_検索

日本興業銀行に入社(入行)しましたが、3年で退行してしまいます、

「あさが来た」で有名になった広岡朝子さんが尽力して作った

日本女子大学家政科二類に入学します!

日本女子大学_-_Google_検索

しかし、1年後、彼女も父と同じ 肺結核となってしまい

静養のため 大学を中退します。

その後 21歳の時 日本読売新聞に入社!

 

暮しの手帖社!立ち上げ

大橋鎮子さんが26歳のときに、 衣裳研究所(のちの暮しの手帖社)を立ち上げました

それは、敗戦の翌年の事!

昭和中期のカリスマ的な編集者花森安治さんと妹たちで作った会社です

衣裳研究所_-_Google_検索

大橋鎮子さんは

「防空壕のなかで、自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、

戦争で学校にも満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう」と考えていました

花森安治さんは

「もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくためのものを作りたい、

もしみんなに、あったかい家庭があったなら、戦争にならなかったと思う」と考えていました

毎日の生活を少しでも豊かで美しくするために

手作り家具や直線裁ちの服などを提案していこうと 二人の考えが一致し、

暮しの手帖が創刊されました

 

大橋晴子横山晴子_-_Google_検索

妹たちは?

次女の晴子さんは、成績優秀な方で 女子大学を卒業されてます

卒業後は、東京丸の内の生命保険会社に就職し

勤めながら、出版の仕事を手伝います。

その後 生命保険を辞めて、暮しの手帖社で活躍されています。

晴子さんは結婚して、男の子さんがおられます

ご主人は、横山啓一さん(創業メンバーです)

 

三女の芳子さんは、鎮子さんと同じく独身でした

やはり、暮しの手帖社の為に尽力されました。

 

まとめ!

ととねえちゃん_キャスト_-_Google_検索

まだまだ女性の地位が低い時代

早くに父を亡くし・・・でも一生懸命に生きた三姉妹が

モデルになっている「とと姉ちゃん」

ますます興味深くなりました

今後の展開が楽しみです^^♡

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