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川田龍吉(りょうきち)は団爵芋の生みの親!嫁とジェニーと子孫について

 

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ダウンロード223こんにちは。

マッサン観てますか?

マッサンもいよいよ佳境に入りましたね。

一馬が戦死して、広島・長崎と原爆が

落とされ、今日やっと終戦を向かえました。

ほっとしたのか、エリーは 倒れてしまいました。

 

今日は、もう一人のマッサンが居るって 知ったので

詳しく調べてみる事にしました。

 

 

第二のマッサンというか・・・・

その方は、川田 龍吉さんです。

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日本の造船業発展に貢献された方です。

 

彼は、明治の初め 慶応義塾大学を一年たらずで中退後、

造船技術を学ぶために21歳でイギリスへ留学します。

英国スコットランドのグラスゴー大学で、船舶機械技術を学びます。

七年もの長い間、留学されてます。

 

なんで、彼が 第二のマッサンかというと

彼も、英国留学の時出会った、スコットランドの女性と

恋に落ちました。

名前はジェニー!! ジェニー・イーディー♡

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帰国した龍吉さんは、ジェニーとの結婚を、認めてもらおうと

父親を説得しますが、どうしても認めてもらえませんでした。

 

マッサンの時代よりもっと以前の話です。

国際結婚は もっともっと、困難な時代だったんですね!

 

ちなみに、父親は岩崎弥太郎とともに三菱グループ創設に尽力し、

日本銀行3代目総裁となった川田小一郎氏です。

 

 

龍吉からの知らせをます待つ、ジェニーですが、

恋は実ることはありませんでした。

マッサンと違うのは、二人は結婚出来なかったんです。

 

龍吉の死後、100通近い手紙と、一房の金色の髪が見つかったそうです。

龍吉さんは95歳で お亡くなりになられたので、

長きに亘り大切に保管してらしたんですね!!

 

 

嫁は高知小町!

ジェニーとの結婚を許されないまま、長く独身を貫いていた龍吉ですが、

33歳のとき、同郷で高知小町と呼ばれ当時17歳だった楠瀬春猪さんと結婚され、

お子さん(5男2女)をさずかります。

 

 

北海道に渡る!

日露戦争時の造船不況に喘いでいた函館ドックは、

技術家であり造船事業経営の経験のある龍吉に

会社再建の白羽の矢を立て、社長に招聘。

龍吉は北海道へ渡ります。

会社再建に成功した龍吉は、経営が軌道に乗ったところで勇退します。

そして、「農工共栄」が持論の龍吉は、

晩年を北海道農業近代化のためにささげることを決意します。

 

 

アイリッシュ・コプラーという種イモ品種を買いつけ、

欧米から、導入したジャガイモの栽培に取り組みます。

 

40歳の時に、父小一郎が男爵の爵位を授与されますが翌年に急死。

長男の龍吉が男爵を継承します

そんなことから、

龍吉のジャガイモは「男爵イモ」として 知られるようになりました。

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川田龍吉氏の孫である川田雄基氏

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龍吉さんの、お孫さんは(株)ブリティッシュ・ヒルズ 顧問・名誉館長さん

 

 

龍吉が後半生を北海道での農業にささげたのは、

その地がジニーと歩いたスコットランドの田舎の風景

よく似ていたからともいわれているそうです。

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